田中裕介 DF3/Tanaka,Yusuke
テキスト/いしかわ ごう 写真:大堀 優(オフィシャル)
text by Eto,Takashi photo by Ohori,Suguru (Official)
川崎フロンターレに移籍して3年目を迎えた。 常に強気で、ポジティブ。そしてなにより、試合中の気持ちに“ブレ“が少ないサイドバックだ。そんな田中裕介のメンタリティーに迫ってみた。
例えば、負けている状況で迎えた試合終盤。マイボールになったときに、失点のリスクを覚悟した上で最終ラインから攻撃参加に出て行けるかどうか。サイドバックにとっては決断を迫られる場面だ。そんな瞬間、田中裕介は力強い意志を持って走り出して行く。
「そこで自分が走ることによって相手を引き寄せたりすることができるわけじゃないですか。やはり点を取らないと勝てないですから。いかに強気であり続けるか。そこが自分の原点になっています」
川崎フロンターレにやってきて3年目。
練習後の麻生グラウンドや試合中のプレー、そして試合後のミックスゾーンでの取材を通じて感じるのが、そのメンタルの強さである。常に強気で、前向き。そして"ブレ"も少ない。そのメンタリティーには風間監督も高い評価を与えている。
「90分、強気でプレーできる。そして責任感もある。もちろん、それがありすぎてもいけないのだが、その頭のコントロールがしっかりできている選手。そこにブレがないし、技術もある。いろんな可能性を持っているサイドバックだと思っている」
現代のサイドバックに課せられる仕事は、実に多岐に渡っている。
サイドで対峙したアタッカーを封じ、センターバックをサポートする-----そんな守備の仕事だけを求められているサイドバック像はずいぶんと昔の話だ。ディフェンダーの一員である以上、失点に関する責任を問われることは今も変わっていないが、安全第一のプレーに終始していては現代のサイドバックは務まらない。チャンスと見るやオーバーラップで貢献することは当然で、ピッチを上下動し続けるスタミナはもちろん、たとえボールが来なくても、チームのために何度もサイドを往復し続ける犠牲心も必要だ。最近では中盤に顔を出しながらサイドからビルドアップしていくゲームメイクも求められている。現代サッカーにおけるサイドバックの重要性はますます高まっており、心身ともにタフでなければ務まらない役割だといえる。
現在27歳。
田中裕介がプロとしてのキャリアを重ねて9年目になった。高校時代からの付き合いであるサイドバックというポジションについて聞くと、こんな風に明かしてくれた。
「このポジションはすごく難しいですよ。試合のファーストプレーで相手に抜かれたことで、90分ずっと引きずったことは何回もある。それこそ、自分が福森(福森晃斗)ぐらいの年齢のときはそうでしたね。ようやく試合を90分で考えられるようになったかな」
試合状況や対峙する相手との様々な駆け引きで、ときに劣勢や我慢も余儀なくされるのがサイドバックだ。経験も必要とされるだけに、若手時代は試合中のメンタルコントロールにも失敗したこともあったようだ。そんな失敗談を尋ねると、「沢山ありすぎますよ。散々、泥水をすすってきましたからね」と笑っていたが、その失敗をどうやって克服してきたのかと聞くと、ある試合の存在を教えてくれた。
「マリノスにいるときにオウンゴールをしたんですよ。それも、スタジアムが凍りつくぐらいの豪快なやつを(笑)。クリアしたボールがそのまま入ってしまった」
田中裕介が明かしたこの試合は、2007年の天皇杯5回戦。相手は清水エスパルス。前半、1点のビハインドを追う中、相手のクロスをヘディングでクリアしようとしたところ、それが自分のオウンゴールとなってしまったという。
「でも、その後にうまく気持ちを持ち直して、自分でゴールを決めたんです」
71分、田中隼磨からのクロスが逆サイドに流れたところに、走り込んでいた田中裕介がダイレクトで放ったシュートが決まり、1点を返した。延長戦の末に試合には敗れたが、自らにとっては後々、大きな成長の糧になった試合だったと振り返っている。
「もしあそこで下を向いていたら、今の自分は無かったですね。試合は90分あるし、挽回できるチャンスがあることに気付けた。あそこで自分に負けず、自分自身がやらないといけないと自覚できたのは大きかった。そのぐらいの試合でした」
「このサッカーをするには自信が重要」
風間監督はよく口にしているフレーズだが、田中裕介はそれをこう解釈している。
「監督が言っていることは、パーフェクトを目指すということだし、理想も高いところにある。確かに難しいですよ。でも届かないことではないと思っている。強気でやれというのは、ボールをしっかり扱えば相手に奪われないということ。そのためには、自信がないとできない」
自信という言葉は、「自分を信じる」と書く。言い換えれば、信じるに値するだけの自分を築いてきたかどうか。サッカーはそれを問われる瞬間が訪れるもので、だからこそ、自信が必要だとも言える。
例えば皆がクリアするだろうと思う状況で、ディフェンダーがボールを味方につなげることが出来れば、攻撃できる回数が一回増えることになる。逆にタッチラインを割ったり、クリアボールが相手に渡れば、今度は相手の攻撃回数が一回増えることになる。ゴールするためにはボールが必要であり、ゴールされない為には相手にボールを渡さなければ良い。ごく単純な理屈だが、様々な状況でボールをつなげることができるかは、極論すると自信を持ってプレーし続けることができるかになる。そして、それは決して簡単なことではない。特に後ろのポジションには、たったひとつのミスが命取りになりかねないという現実が常に存在しているからだ。
先月アウェイで行われたジュビロ磐田戦を覚えているだろうか。
この試合の勝敗を決定づけたのは、相手のディフェンダーによる信じ難いミスだった。
3対2とリードしていた川崎フロンターレが逃げ切りをはかっていた終盤の時間帯、ボールをキャッチしたGK杉山力裕は、前線に向かってロングボールを蹴り出した。相手にとっては何のこともない処理になるはずだった。しかしそのバウンドに対して、ジャンプして胸でトラップするのか、それとも味方のGK川口能活にヘディングで返すのか、磐田のセンターバック・藤田義明は、一瞬だけ躊躇したように思えた。
そしてその迷いを見逃さなかった矢島卓郎が背後からボールを奪い、巧みにゴールネットを揺らしてみせている。これでスコアは4-2となり、川崎の勝利を決定づける追加点となった。試合後、痛恨のミスを犯した藤田義明は、シャツで顔を覆って泣き、川口能活らになぐさめられながらピッチを去っている。
一体、なぜあのようなミスが生まれたのか。田中裕介は同じディフェンダーとして藤田義明の一連の判断をこう読み取っていた。
「味方や周囲からすると、『だったら、クリアしておけよ』と思ったはずです。でも本人からしたら、負けている状況で時間もないから、あそこでつなぐのか、GKにしっかり返すかどうかで、一瞬、迷ったんだと思います。その結果、ミスになってしまった。ディフェンダーが攻撃の一歩になるかどうかは大事ですから」
マイボールを大事にしようとするがあまり起きた出来事だったが、これがディンフェンスというポジションにおける怖さであり、サッカーの厳しさでもある。サッカーはときにメンタルなスポーツと言われるが、奇しくも、このときのジュビロ磐田は開幕から低迷し、負のサイクルに陥っている渦中だった。その流れに飲み込まれると、トップアスリートでも信じられないミスを犯してしまうのだ。平常心でいること、自信を持ってプレーし続けることの難しさを象徴する場面だった。
自分を信じることができるかどうか。
田中裕介の中には、自分を信じるだけのいくつかの記憶がある。
例えば、中学生時代。
彼が練習を休まなかった。たとえ怪我をしても、である。
「もちろん、痛かったら練習は休めるんですよ。でもそのときの監督が厳しくて、怪我で休むことを嫌がる方だったので、生半可なことでは休めなかった。それに練習を休んだら、自分のポジションがなくなるぐらいの危機感を持っていた。休むことで遅れを取ったら、もったいないとも思っていた。だから怪我をしても練習を休まないのが普通になったのは、中学時代からですね」
その結果、田中裕介はすっかり怪我に強いアスリートになった。
プロになった現在もそのスタンスは変わっておらず、痛みで練習を休むことはまずない。試合でも同様で、今季の第2節大分戦では試合前日の練習で足首を負傷し、通常であればプレーできる状態ではなかったにもかかわらず、強行出場を果たしている。ただ、よほどきつかったのだろう。試合後のミックスゾーンでは、思わずこんな本音をもらしていた。
「自分はこれまでも怪我をしてきているが、その中でも上位ランクに入っている怪我でしたね。今日の朝まで出られないと思っていたので、西本さんをはじめとするメディカルスタッフには本当に感謝している。さすがにこれはきついというのはあったが、気持ちの部分で負けないということでやった」
あらためて当時の状況を聞くと、少し懐かしそうに話す。
「さすがにあの試合は、あきらめかけてました。限界を超えてましたから。それでも、やってみるもんだなと、自分でもビックリした(笑)。あの大分戦で頑張れたから、もう他では休めないかな」
まるで笑い話のように語っていたが、きっとそうやって自分の芯を太くし続けてきたのだろう。彼が頑張れる理由も、そこにあるように思えた。
「自分を信じていますから。そして自分を信じて最高の自分を見せないといけないと思っている。だから、休めないし、腐らない。そんなことしていたら、もったいないんですよ。いろんなことを乗り越えてきたから、ここまで来れたとも思っている」
もちろん、ここまでのキャリアでは思うようにいかない時期も多かったに違いない。それでも芯をブラさずにやり続けてきた自負が田中裕介にはある。
「大事なのは自分を崩さないこと。試合に出れないからといって、日々の練習でちょっとだけ手を抜く。そういうのは自分がやろうとしたら出来ることだけど、それは絶対に違う。不摂生するとかは論外ですね。まったく自分のためにならない。うまくいかないときでも、足りないものを改善することに集中してきたし、そうやって乗り越えてきた。結局、自分次第だと思っている。試合に出れないことで自分を見つめ直す時間だってできるわけで、無駄な時間はないんです」
あえて、聞いてみた。
──それでもうまくいかない状況が続いたら?
「それはもう、寝るしかないでしょ」
そう言ってあっけらかんと笑っていた。
「ユウスケを思い出すよ」
中村憲剛に田中裕介との試合中の関係を聞くと、そんな言葉が返ってきた。同じ響きだから紛らわしいが、ここで言う「ユウスケ」とは、2010年までクラブに在籍していた右サイドバックの森勇介(現在:東京ヴェルディ)のことである。
一体どういう意味なのか。中村が説明をしてくれた。
「(森)勇介もボールを出して受けるということができたし、欲しいタイミングで自分に入れてくれた。そういう右サイドはあんまりいないだろうな、と思っていたから、この感覚が久々なんだよね。今はチームに欠かせないでしょ。裕介が右にいるから俺もゲームが作れるし、安心してボールを預けられる。風間さんのもとでやって、視野がだいぶ広がった。それこそサッカー観が変わったぐらいの変化があったんじゃないかな。ここ一年の伸び率で言ったら、たぶんチームでも一番か二番だと思う。今はチームに欠かせないでしょう」
ではサイドバックの能力としてはどうか。日本代表・中村憲剛もかなり高い水準にあることを認めている。
「もちろんまだ課題はあるけど、国内の右サイドとしてはすでにトップクラスだと俺は思っているよ。前は走れる選手だな、と思っていたけど、風間さんが来てからのここ1年でゲームを作れて走れる選手になったからね。日本代表に呼ばれても遜色なくやれると思っている」
もっとも、現在の日本代表のサイドバックは、激戦区だ。インテルの長友佑都、シャルケの内田篤人を筆頭に、酒井宏樹や酒井高徳と海外組で占められており、国内組でも国際経験豊富な駒野友一がいる。ブラジル本大会までちょうど1年を切った。中村憲剛のお墨付きをもらったとしても、今からその席に割って入るのは容易なことではないだろう。ちなみに当の本人の意識はどうなのだろうか。
「代表戦は見ますよ。自分を当てはめて見ることもありますね。ただ長友や内田とはキャリアで培ってきたものやプレースタイルも違うから、そこは違う眼で見ているかもしれないかな」
サッカー選手である以上、代表に対する思いは当然として口にしていたが、そこばかりに意識を捉われるよりは、クラブでしっかり結果を出し続けることに全力を注ぐというスタンスのようである。言葉を続ける。
「あまり先のことは考えず、目の前のことに集中する意識が強いかな。チームで自分は中堅になって、年齢的にも選手としてちょうど登り坂だと思っている。最近は身体の調子がいいので、毎日のトレーニングをしっかりやること。目立たないポジションだけど、そこで試合を決められたり、勝敗を左右できる存在になっていきたい」
そして最後に聞いてみた。
田中裕介の考える「プロフェッショナル」の定義とは何なのか。まるでどこかのドキュメント番組のラストシーンのような質問だったが、彼は丁寧に言葉を紡いでくれた。
「プロとは人に見られてナンボの職業だと思っています。そして人が見て、何かを感じてくれたことで僕らはお金をもらっている。自分のプレーを見て、楽しんでくれたり、感動してくれたり、人の心を動かせたら最高ですよね。そうなってもらうために、自分は頑張らなければならない」
常に強気。そして自分の心を動かさない。
そんなハートでピッチに立っている男は、全身全霊を注いで自分のサッカーを表現し続けている── 観客の心を動かすために。
90分間、献身的に走り続けるタフネスぶりが特徴のサイドバック。昨シーズンは風間監督就任以降、ボランチも務めるなどしてボールタッチ数も飛躍的に増え、ゲームメイクに加わる能力も開眼した1年となった。世代的にも中心選手としての自覚が高まっている。
1986年4月14日/東京都
八王子市生まれ
181cm/72kg
ニックネーム:ユウスケ