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ピックアッププレイヤー

2009/vol.19

〜相馬直樹〜

ピックアッププレイヤー:相馬直樹

98年フランスワールドカップに出場するなど、数々のキャリアで日本サッカー界の歴史に名を刻んだ
偉大なる左サイドバック。Jリーグ創生期から積み重ねてきた経験、
そして一途にサッカーに取り組む姿勢は、当時J2にいたフロンターレに新しい風を吹き込んだ。
2005年にフロンターレで現役を引退。その後は一サッカー人として、
さまざまな角度からフロンターレを見つめてきた。そして2010年──。
相馬直樹は新たな目標に向かうことを決断した。

1 フロンターレで現役引退を決意してから先のことは、正直なところあまり考えていませんでした。ただ、僕を育ててくれたサッカーに恩返しをしたいという思いだけははっきりしていたんです。

 プロができるわけないだろうと思いながら子供の頃からサッカーをやってきて、大学4年生のときにぽんとJリーグがスタートしました。でもそれは自分が作り上げたわけじゃなくて、いろいろな人の思いが形となり、その波に乗せてもらうことができたからなんです。Jリーグがスタートした翌年の1994年、すごく恵まれた時代にプロの世界に入り、日本代表として1998年フランスワールドカップの舞台にも立つことができました。

 12年間の現役生活を送らせていただき、最後は幸せなことにピッチの上で終わりを迎えることもできました。サッカーに対しては本当に感謝の気持ちで一杯です。だからこそ、何らかの形で日本のサッカー界に貢献したいと考えていました。

 じゃあ自分に何ができるのかとなったとき、タイミングよく引退の翌年に2006年ドイツワールドカップがあり、そこに解説者として参加することができました。解説者や評論家は選手の立場からすればときにデリケートな存在ですし、非常に難しい仕事だなと感じていました。でも、そんななかにも新しい発見があることがあるかもしれないんじゃないかなと。いまのサッカー界にとってメディアの仕事はすごく大きな仕事だと思いますし、まずは経験してみようと思いました。

 サッカーに携わるということ、それは監督やコーチといった指導者、普及活動で子供たちとふれあうこと、マネージメントでサッカーをやる環境をよりよくすることなど、さまざまな仕事があります。そのなかで自分はどこに進んで行けばいいのか。現役時代の僕が幸せだったのは、満員のスタジアムでサッカーをやらせてもらえたことでした。いまは限られた試合でしか満員にならないのが現状です。選手が気持ちよくプレーできる環境を作ってくれた人がいたからこそ、僕は幸せな思いをさせてもらえました。だから今度は後輩たちが1試合でも多く満員のスタジアムでプレーできるようにすることが、自分の義務なんじゃないかなと。ひとりで何かできるというわけではありませんが、漠然とそう考えていました。

 実際に解説者という仕事をやらせてもらい、サッカーに関して俯瞰した見方ができるようになりました。でもそれ以上に学べたのは、準備をすることの大事さです。試合のビデオを観て、練習に行けるときは足を運び、資料を作る。現役時代もある意味で同じサイクルでしたが、社会に出てもやっぱり同じなんだなと再確認することができました。また視聴者の視点に立ってサッカーをどう伝えていくかということに気を遣っていました。このプレーがうまいとか下手というのは、サッカーをよく観ている人ならわかると思います。じゃあなぜそのようなプレーになるのか。その理由がわかるよう気をつけていました。あとは地上波と専門チャンネルで方法は変わってきますが、できるだけネガティブな言葉は発しないようにしたいなと。たまたまテレビをつけたらサッカーがやっていて、そこで解説者がマイナスな発言ばかりしていて視聴者はチャンネルを変えずに見続けてくれるのか。生ぬるいといわれるかもしれませんが、普段サッカーを見ない人にも見てもらえるようにということはすごく意識していました。

 また2006年から4年間、フロンターレとクラブアシストパートナー契約を結んでいただきました。これはまさにパートナーという言葉が的確だったと思います。広報的な仕事としてオフィシャルホームページや朝日フロンターレエクスプレスでコラムを書かせてもらったり、「ファイト川崎フロンターレ」(テレビ神奈川)で仕事をさせてもらいました。ある意味では現役時代以上に「フロンターレの相馬」という印象を持っていただけたかもしれません。また下部組織の現場にも行かせてもらいました。1、2年目はジュニア中心に手伝わせてもらい、その後はユースの方で子供たちに自分の経験を伝えることができ、僕自身も勉強させてもらいました。S級ライセンスを取得するにあたりクラブに協力してもらいましたし、僕としても元代表選手ということを含めてフロンターレを世間にアピールできたと思います。非常にいい関係を築くことができました。

 現役を引退して、僕はサッカー選手という肩書きではなくなりました。つまり、社会人としては何もないわけです。だから勉強をしなければいけない。ドイツワールドカップが終わった後にまずB級ライセンスを取り、2007年は早稲田大学大学院でスポーツマネージメントを勉強させてもらいました。2008年北京オリンピックにも行かせてもらいましたし、今年はサッカー協会でトレセンコーチをやらせてもらいました。この4年間ですべてできたわけではないですし、これからも多方面からサッカーを見続けなければいけないと思っています。ただ現場、マネージメント、そしてメディアや普及活動を経験してみて、将来的に自分は何がやりたいのかとなったとき、やっぱり現場なのかなと。そう考えるようになりました。

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1 僕がこの4年間でいろいろなことを経験している間、フロンターレは大きく成長しました。チームに関しては関塚前監督がうまくまとめながら方向性を作り、着実に進んできたと思います。サポーターも増えましたし、世間から注目されるクラブになりました。これは現場だけじゃなくて、フロントやスタッフも含めたクラブ全体の努力があったからです。今回関塚さんが退任し、来シーズンから高畠監督になりますが、同じくいい流れを継続してくれるのではないでしょうか。

 この数年間でここまで来られたことは素晴らしいことですし、喜んでいいことだと思います。ただ、タイトルが獲れないというのは、やはり何か足りないものがあると思うんです。あれだけの結果を残す鹿島アントラーズは確かに強いです。でも、強いクラブを作る方法論はひとつじゃない。ガンバ大阪や浦和レッズもそういう状況になってきていると思いますし、フロンターレもひとつの黄金期を作るだけの状況にならないといけない。そのために、クラブとしてもうひと皮むけなければいけないのではないでしょうか。

 フロンターレはファミリー的なチームカラーがありますし、それがあるからトレーニングの雰囲気もすごくいい。現役時代に2年、そしてクラブアシストパートナーで4年。僕がフロンターレにいる間、いい素材を持った選手がどんどん集まってくるようになり、クラブを取り巻く環境も整備されてきました。最初は勢いといわれることもありましたが、いまは安定した力を出せるようになってきたと思います。トップチームが頑張ることで、下部組織にもいい子たちが集まってきています。この取り組みを続けていけば、いつか頂点に立つことができるかもしれません。ただ、つねに時代は流れています。同じことを続けていたとしても、それが遅れになってしまう可能性も否定できません。

 フロンターレにはぜひともタイトルを獲ってほしいです。だからこそ。だからこそクラブを離れるにあたり、いいたいことがあります。

 ナビスコカップ決勝、そしてリーグ戦での最後で勝てなかったのは、何らかの原因があったからだと思います。それは選手の問題なのか、もしかしたらスタンドかもしれないし、フロントなのかもしれません。選手、スタッフ、フロント、サポーター。そこからさらに大きな括りであれば地元の方々、そして川崎市民。終盤戦でフロンターレは一度首位に立ちました。でも、どこかで「大丈夫だろう」とか、「大丈夫だろうか」という気持ちはなかったでしょうか。フロンターレに関わるすべての人たちが、信じきることはできていたのでしょうか。そこを変えていくためには信じる気持ちもそうですが、大げさにいえば自分に嘘をついてでも信じさせるぐらいに準備をやりきることが必要なのではないでしょうか。

 いまのフロンターレはJ1でも上位のチームですから、その下にいくつものクラブがある状況です。つまり断崖絶壁ではない。崖っぷちの戦い方ではないんです。山を登りきるためには、退路を絶つ覚悟で自分を追い込まなければいけないのかもしれません。これがもし優勝はしなくてもいいというなら話は別です。そこが今後のフロンターレの勝負になるのかなと。その心意気の部分も見て欲しいと思います。もう一歩進むためには、もっと深く踏み込まなければいけない部分があるのではないでしょうか。

 タイトルを獲ったらすべてが大きく変わります。それは間違いありません。それだけすごいことなんです。だからこそ、一緒にピッチでプレーした選手がたくさんいるうちに獲って欲しい。いまは答えが出ないでしょうし、見えなくなっている部分もあると思います。その壁をフロンターレに関わるすべての人たちでどう乗り越えていくか。プレッシャーがかかるのは当たり前です。それで力を発揮できないのでは、チャンピオンチームにふさわしくありません。2010年もACLがあって忙しくなるでしょうが、またやりがいのあるシーズンを過ごすことができるじゃないですか。ワールドカップもありますし、代表選手が抜ける試合も出てくるでしょう。でも、それでも勝っていくのがチャンピオンチームです。いまやフロンターレはそういう立場のクラブです。そういった状況のなかで若い奴らがポジションを取りにいき、そのままレギュラーを奪ってしまうぐらいの意識じゃないといけない。フロンターレの選手たちには大きな期待を寄せています。

 僕はタイトルは待っていて獲れるものではないと思っています。自分から獲りにいかないと。ベスト4に入るぐらいの力を維持していれば、いつかは獲れるという考え方もあります。でもこれだけ同じ状況が続くと、同じ場面がきたときにプレッシャーがかかってしまうかもしれません。タイトルを獲りにいくんだという、誰が見ても明らかな姿勢を見せることが必要です。僕もこれから同じことをしなければいけないので自分に言い聞かせている部分もありますが、僕も今回退路を断って進んで行くわけです。フロンターレにもそれぐらいの気持ちで向かって行って欲しいと思います。

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 私、相馬直樹は、2010年からJFLに所属するFC町田ゼルビアの監督を務めさせていただくことになりました。現場でやりたいという強い思いがあり、そこで縁あってオファーをいただき、僕自身としてもゼルビアで勝負をしたいという気持ちになりました。新たなチャレンジですが決して無謀なことではないと思いますし、すごくやりがいを感じています。

 もしゼルビアがJ2に昇格したとしても、上のレベルで通用しないでは意味がありません。ただ勝てばいいというやり方では、翌年以降に選手が育たないからです。自分のなかでは1年で勝負という気持ちなのでそこまで手をつけられないかもしれませんが、将来的にはJ2からJFL(J3)への降格もあるかもしれません。勝負の世界なので割りきった戦い方も大事にしながら、本当の意味で力がつくような形でチームのベース作りを行っていければと思います。思っていたようにいかないこともあるでしょう。でも、最終的にはピッチで結果を出さなければいけない。結果を出すためには、ピッチや練習グラウンド以外の部分での準備も必要です。とにかく悔いの残らないようにやろうと思っています。

フロンターレのサポーターの皆様へ。

 いまのフロンターレはタイトルを獲らなきゃいけないと思うし、何としてでも獲って欲しいです。2010年から高畠監督となり、そのなかで必死になってチームは進んで行くと思うので、ぜひサポートしてもらいたいし、信じてあげて欲しいです。等々力陸上競技場に行ったときにいつも感じること。それはこのスタジアムって本当にいい雰囲気だなということです。フロンターレの選手たちはサポーターへの言葉がすごく多いですが、それが作られたものではなく自然と出ているような気がするんですよね。それはやっぱりお互いの信頼関係なんだと思います。チームに対して惜しみないサポートをしてくれる大勢の人たちがいて、その人たちを大事にしようとする選手がいる。この関係は大事にして欲しいと思いますし、そのスタイルを崩さずに頂点に登り詰めて欲しいです。

 僕自身も、これから新しいチャレンジに進みます。J2昇格というクラブの命題を成し遂げるために、すべてを注ぎ込むつもりです。また町田市は川崎市とお隣関係のようなものなのでゼルビアの試合にも足を運んでいただきたいですし、試合を観た人から「相馬のサッカーは面白いな」といわれるように頑張りたいです。実際にシーズンがスタートしたらガッチガチのサッカーをやっているかもしれないですけど…。近い将来、トレーニングマッチでフロンターレと対戦させてもらえたらなとも思っています。そのときはブーイングなく迎えていただけるとありがたいです。

では、フロンターレの発展と健闘を祈って。
フロンターレでの6年間、応援ありがとうございました。
そして、FC町田ゼルビアの相馬直樹をどうかよろしくお願いします。

相馬直樹

profile
[そうま・なおき]

清水東高、早稲田大学を経て1994年、鹿島アントラーズに加入。その後、2002年東京ヴェルディ1969、2003年鹿島アントラーズを経て、2004年に川崎フロンターレに加入。J1昇格を支え、2005年11月惜しまれつつ引退。2006年から川崎フロンターレクラブアシストパートナーを務める。国際Aマッチ通算59試合4得点。

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