2007/vol.18
昨年末、10年間の現役生活を終えた今野章。
今年、川崎フロンターレのトップチーム・アシスタントコーチに就任した。
選手からコーチへ──。
セカンドキャリアという新たな道を歩み始めた。
2006年12月9日、天皇杯5回戦・ヴァンフォーレ甲府戦が今野章の現役最後の試合だった。
その1ヵ月後には、今野のセカンドキャリアがスタートした。いま、今野は川崎フロンターレのトップチームのアシスタントコーチを務めている。麻生グラウンドでの練習が終わった後、選手のときに何度もしたインタビューを1年ぶりにさせてもらった。同じ場所で、同じように話を聞いた。変わったのは、今野の職業である。
引退から約1年。当時の心境から振り返ってもらった。
「早かった。本当にあっという間の1年でしたね。昨年、引退を決めて、セレモニーをしてもらい、その後天皇杯の甲府戦までもあっという間だった。引退を決めてから最後の試合までは、心境はそんなに変わることはなかったですね」
オフは、いつものように普段はなかなか会えない友人たちと食事を楽しみ、2006年を終えた。新たな始まりを迎えようとしていた。
現在の今野の主な仕事は、スカウティングビデオの編集である。また、基本的には練習や試合時にチームに帯同している。
スカウティングビデオとは、次の対戦相手の特徴をビデオに編集してまとめる作業のことだ。相手の特徴を捉えたビデオを約10分間にまとめなければならない。10分間に凝縮されたものに製作するまでには、かなりの時間と労力と分析力が必要とされる。
まず、相手チームの直近の試合のなかから攻撃、守備に関しての特徴あるシーンを抜き出す。関塚監督が事前にビデオを観ている場合は、「何分のこのシーン」というリクエストや意向を取り入れ、次節出場停止の選手がいる場合は、それも考慮に入れる必要がある。もちろん、試合において相手から勝利を勝ち取ることが目的であるため、相手のウィークポイントも把握できる内容も必要だ。「チーム」そして「個人」の特徴、そのうえで自分たちがどう戦いを挑んでいくかのバロメーターとなる。
できあがったビデオは、ミーティングの際に流しながら、今野がその要点などを選手たちに伝える役目も担っている。
「今年の1回目は、ツトさん(高畠コーチ)が説明してくれたんだけど、2回目からは俺が自分でやることになって。基本的には人前でしゃべることは苦手だけど、最初のころよりもましになったかな」
今野にこの作業を引き継いだ高畠コーチは言う。
「ビデオ編集は、監督の意図を汲んだうえで、まだマッチアップしたことのない相手が、うちのチームと対戦したときにどう戦術を組み立てるかという部分にも関わってくるので、ひじょうに重要な仕事です。最初のころは、相談されることもあったし手伝うこともあったけど、分析も緻密に詳しくやってくれてますね。自分で全試合の得点シーンや失点シーンをデータとして残したり、よくやってると思いますよ」
選手のときより、グラウンドにいる時間も圧倒的に長くなった。練習の1時間前までにはクラブハウスに到着し、練習前のスタッフミーティングに参加。遅いときは夜の9時頃までいることもあるという。時間がたっぷりある選手のときとは違い、家で過ごす時間はずいぶんと減った。
「仕事だから当たり前ですけどね。いまは、これからB級ライセンスの講習にも参加するので、その勉強をするために早く来たりすることもあります。まぁ、子どもたちと接する時間は昨年までより減りましたね。子どもたちもサッカーをやっているので、これまでは俺の試合を観に来ていたけど、いまは週末は自分たちのサッカーの試合があるという感じ。変わったことといえば、家に帰ったときに子どもから『練習終わったの?』から「仕事終わったの?』って聞かれるようになったことかな」
現役時代、今野は試合に出るチャンスを掴むために必死でトレーニングをし、チャンスが来たらそのチャンスをつぶさないように、全力で試合にぶつかっていた。試合に出られなくて落ち込んだり、モチベーションが下がってしまうことはあっても、そんな自分を周囲にはみせなかったし決してトレーニングに手は抜かなかった。それは、自分に負けたくない気持ちが根底にあったからだ。客観的に自分を見る冷静さと負けず嫌いな性格が、今野の闘争心を支えていた。そんな今野でも、例えば前の試合には出ていたのに、次の試合はベンチスタートだとわかればがっかりしてしまうこともあったというが、それは当然の心理だろう。そんなとき、コーチのひとことに救われることもあったという。
「ツトさんから出られない理由などを説明してもらって、また頑張ろうと思えることがよくありましたね。性格にもよると思うんですけど、自分の場合は、そうやって話してもらうほうが前向きになるキッカケを掴めたかな」
コーチは、監督と選手の間に入るクッションのような役割を少なからず担っている。それは、まさに今野章の現役時代のプレースタイルと似ている。立場が変わり、アプローチはもちろん異なってはいるが、今野の本質がまた活かされるのではないかと高畠コーチは考えている。
「関さんがいて、自分がいる。そして、エジソンがいて、キンちゃんがいて選手たちがいる。コーチによっても微妙にそれぞれの立ち位置があるわけですよね。キンちゃんはいま、一番選手に近いポジションにいるコーチだと思いますけど、コーチ陣もそうやって、ひとりひとりがいろんな立ち位置からチームを見られることによって、実際に充実してきていると思います。それに選手のとき、きんちゃんは守備と攻撃の橋渡しをする、まさに潤滑油の役割をしてましたよね。選手からコーチへと変わって、きっと同じグラウンドにいても見えている景色が違ってきているだろうけれど、いろんなことを見て気づいてチームがうまくいくように潤滑油になっている点は、(現役時代と)変わらないんじゃないですかね。キンちゃんには、選手のときの経験があるし、それをベースにこれから積み上げていけばいいと思っています」
そういえば、コーチとしてグラウンドに立つと見える景色が違ってくるというのは、今野も実際に話していたことだ。とくに、選手たちの精神状態については、敏感に感じられるという。今野自身、試合に出ているときも、サブにまわることも、まったく出られないことも経験している。だから表情や置かれている状況を察して、選手たちに言葉をかけることができるのだ。
「選手の精神状態は、良くも悪くも経験しているからわかる部分がありますね。例えば、試合に出て結果も出していたのに、外れてしまったときとか、ちょっと不貞腐れてしまう気持ちというのはすごくよくわかる。選手も俺には言いやすいという部分もあるだろうから、話をよく聞くようにしています。でも、いまコーチの立場になってわかることは、監督としてはもちろんその選手のことは評価していて、評価しているからこそ後半の切り札に使いたいという場合もある。そのどちらのこともいまはわかるから、選手には評価の部分を伝えるようにしていますね。それから、もちろんプレーの面では選手のときとは視点が変わって、客観的に見れるところがある。ボールのあるところだけじゃなく、ボールのないところの動きもそう。そういうことについては、とくに若手選手には自分の経験のなかからわかることは、なるべく伝えるようにしていますね。自分の経験や思ったことを選手に伝えて、それで選手がよくなってほしい。これからは、コーチングの勉強ももっと必要だし、見抜く力もしっかりとつけていかなきゃいけない。やるべきことはいっぱいある。いまは、その入り口ですよね」
11月3日、国立競技場──。
ヤマザキナビスコカップ決勝の舞台にフロンターレは立った。快晴に恵まれたその日、国立のスタンドは水色のサポーターが多勢を占めた。1時間後にキックオフを控えた頃、今野章がピッチ横に姿を現した。
「すごい入っているね、サポーター。最高の雰囲気だね。こんな雰囲気で試合ができるなんて、選手たちが羨ましいよ」と今野はスタンドを見渡しながら言った。フロンターレは0対1という僅差でガンバ大阪に敗れてしまい準優勝に終わったが、この悔しさは次につながるだろうと今野は改めて感じていた。
「あそこまで行って負けるのは悔しいですよね。目の前で優勝をみせられるのはやっぱり…。ロッカールームに戻っても選手たちは暗かった。ナビスコには賭けていたし、ひとつの大きな目標だったからね」
今野は、知っている。その舞台に立てることの喜びがどんなに大きいかを。そして、いつか必ず終わりが来る期間限定のチャレンジだということも。
「世の中の人、全員がやりたい仕事をやっているわけじゃないですよね。そんななか、自分がやりたいことを仕事にできているサッカー選手は本当に幸せだと思う。選手だったとき、その素晴らしさはわかっていたつもりだったけれど、終わって改めて気づかされたこともあります。選手たちにはその舞台に立てる幸せを感じてほしい。例え、試合に出られなくても、その権利はもっているわけですから。そして、その権利というのは選手であるうちにしかないものだから。だから、いまでも同い年でまだ現役でやっている選手に会うと『頑張って長くやってね』と必ず声をかけますね」
時間がたっぷりあるなかで、自分を磨くための投資も選手時代には、やっておくべきだと今野は言う。
「もちろんサッカーが一番大切なわけだし、サッカーに邁進してほしい。いまは昔と違って、Jリーグでもセカンドキャリアのための情報や働きかけなどもいっぱいある。選手のときに、例えばパソコンでもなんでもいいからやっておくことは有意義だと思う。そうしたなかからセカンドキャリアの可能性は広がると思うし、人脈や新しいなにかが見つかるかもしれないから」
好きなことを職業にできる幸せを知っている。だからこそ、セカンドキャリアも輝いた日々を送りたい。今野は、そう願っている。
つい先日のこと。高校時代の恩師・斉藤監督(現盛岡商業高校監督)と電話で話す機会があった。今野が尊敬する指導者のひとりだ。また、同じくセカンドキャリアに人生のステージを移した、かつての仲間たちとも話す機会は増えたという。
「斉藤監督は、サッカーに賭ける情熱がすごい人。高校生のときからそう思っていたけど、いまこういう立場になってさらに情熱の必要性というのは感じていますね。先生と僕はタイプが違うけれど、精神的なところでめざす部分があります。先生に将来のことを聞かれたとき、『いま与えられたことをしっかりとこなしながら、少しずつ自分の方向性を見つけていきたい』という話をしました。それが、いまの自分の正直な気持ちですね。大学時代の同級生で札幌でスカウトをやっている佐藤尽とは、たまに会うとお互いの近況を話したりするけれど、やっぱりどんな仕事も大変そうだけど、話を聞くと刺激になりますね」
セカンドキャリアの1年目がもうすぐ終わろうとしている。あっという間に感じたこの1年も、ひとつひとつ振り返ればいろんな出来事や新しい経験がチームにも今野にも詰まっていた。
「フロンターレはいろんな出来事があったよね。若い選手たちも成長して台頭してきたし、チームとしてはACLという初めての海外遠征も経験しました。過密日程のなかで試合をこなしてきて、調子が悪くなった時期もあったけれど、それも乗り越えることができた。選手もチームも逞しくなったなぁと感じます。実際、紅白戦をみていても、高い水準で練習が出来ているのを感じるし、チームの成長が感じられたことは僕としてもうれしかった。個人的には、最初は慣れないことだらけだったけれど、目の前のことを積み上げていって、僕自身も成長したと思われるように頑張りたいですね。まだいまは、指導者としての知識や経験も足りないことを痛感しているので、日々勉強です」
今野はどんな状況にあっても、決して手を抜かずやるべきことをきっちりとやってきた。華やかなファンタジスタもチームには必要だし、献身的に走り回る汗かき役の存在もまた大きいものだ。今野は、後者のタイプである。きっとこれからも、チームの汗かき役として、潤滑油として欠かせない存在であり続けるだろうし、今野はただひたすらに邁進していくことだろう。
国士舘大学、ジュビロ磐田を経て、川崎フロンターレへ。
J2時代から
チームを支え、2004年の昇格に貢献、2006年12月惜しまれつつも引退。
1974年9月12日生まれ、岩手県大船渡市出身。165cm、56kg。
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